インタビュー1人目 三原千尋さん(後編)

こちらの記事の前に、まずは前編をお読み頂く事をオススメします。

ーでは、ポエトリーする人としての〝自縛ポエトリー/うい〟はどんな印象でしたか?


三原: 普段がそうやって、気使いな分、全部吐き出してる人。もう、すごいドロドロしたものも全部吐き出して。もちろん、ちゃんと作品になるようにはしてるんだけど。『胸糞注意』とか『くがつじゅうさんにち』もそうだし、たまにちょっと赤裸裸すぎて直視ができなかったこともありましたね。しかもまた、上手いから。100%濃縮還元で、そう感情を表現を出力していきたいタイプで、ほんとに自分が元気じゃないと、「ごめん、あんま見れない」みたいなことも正直、ありました。それだけ、裡に秘めているものが、多かったんだと思うんですけど。


ー確かに、自縛ポエトリー/ういの表現は濃くて、ある意味、受け手を選ぶものだったのかもしれない。ワタシが印象的だったのは、「詩のあるからだ」で主に女性が集まってアフタートークしていた時。「作品=作り手と思われがち問題」について喋ってて、そんな作品と同じ経験をぜんぶしたとしたら…


三原: 「命がいくつあっても足りない」というようなことを言ってましたねー。


ー笑いながら「そうですよねー。棒っきれになっちゃいますよ」って。「それも、真っ黒こげのな」ってワタシも続けて、爆笑したこと。


三原: ういちゃんの作品が全部、実話だったら肉体的にも精神的にもヤバいことになってますよね。でも、まーそうやって思われがちというか…もちろん、パーソナルな部分も含んでるんですけど。嘘はついていない、全部、本心ではあるけど「フィクション」という。


ー2人で、お出かけなどしました?


三原: 結構、出かけてましたね。星が丘テラスとか。それも無意味にクリスマスの時期のちょっとキラキラした時期に。ブラジルコーヒーで待ち合わせて、ずーっとだべったりとか。


ーそういう時の話題も、ポエトリーではなくって?


三原: ポエトリーはどっちかというと、誰々さんが格好よかったって話、自分たちのじゃないことを話をしてて。受け入れかねる、腹に据えかねる的なガス抜きもありつつ、「マジ、尊い」的な。割と話題に挙がったのが、江藤さんと…


ーひゃーっ


三原: 岩村空太郎さんと、中内こもるさん。江藤さんはエトリカさんって普通に呼んでるんだけど、中内さんと空太郎さんに関しては「こもてゃー」とか「そらてゃー」とか、本人に聞かれたら不味いっていうような、JKがつけるようなあだ名で呼んでて。若い子が使うネットスラングみたいな。


ーアイドルというか、推しというか、尊いから敢えてそう呼ぶヤツね。


三原: あんまり、どうやってつくってるとか、これはどういうつもりでつくってるとか、最近、詩がつくれてないとか、そういう話はほとんどしなかったですね。「詩のある〜」のご歓談タイムでしているような、直近でこのイベントがあるから頑張ろうね。何々ってイベントがあるらしいね、観に行きたいね、私行く、マジで? いいなー、と。ほんとに、そういう普通の友だちみたいなノリでつき合ったのは、ういちゃんくらいしかいなくて。この間のライブがこうこうこうで、誰々さんのこのパフォーマンスがこうこうで、曲順がエモくて、みたいな。でも、私とういちゃんの場合は、ウマが合ったんだろうな、って〝私は〟思っています。


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ー本人から、ポエトリーリーディングに対する何らかの思いを聞いたことがありますか。


三原:何を言ってもいい場所というか、やっと自分の本音を吐き出せるツールを見つけた、って。ポエトリーリーディングを見つけた時は、すごくうれしかった、って言ってました。


ーそれは、いい話だ!


三原:でも、昨年の秋頃くらいから、逢ってお茶してても何となく元気がないなって。「詩のある〜」の前に、2人で下の串揚げ屋さんで、軽く食べて飲んでから向かうっていうのが恒例だったんですけど、その時もあまり元気がなくて。でも、ういちゃんは心配されるのとか、腫れ物扱いされるのがすごくイヤだって言ってて。「普通にしてて」「普通に接して」という思いが強かった。それで、どこまで心配している態度を示していいのか…としてるうちに、ほんとに旅立ってしまった…。


ーうん。


三原:敢えて、聞き出しすぎず、食いつきすぎず。話したくなるまで待とう。言ってくれる分には聴き手になるけど、聞き出すのは止めよう、と。だから、私自身はできるだけ、喋る時は楽しいことをと、無意識のうちに心がけていたのかもです。でも今思うと、一番抱えていて苦しい部分をスルーしていたことになるのかな、って…。


ーそれは敢えて、彼女自身が見せたくなかった部分かもしれないし。さっきの、腫れ物に触るような態度を取られるのは嫌だ、という気持ちがあったことからも…。


三原:前に「朗読を止めても友だちでいてね」みたいなことを、ラインで送られてきたことがあって。「もちろんだよ」って返したんだけど。その時は、やめてもいいだろうか、続けるのしんどいな。でも続けていきたい、という葛藤があったんだと思います。


ー原マスミさんのライブも、行きたいって言ってくれてて。一緒に行ければよかったな。


三原: 私も映画の『おそ松さん』一緒に行きたかった。「割引になるやつ持ってて映画がすごく安くなるので、もしよければ一緒に行きましょう。激安に巻き込まれに来てください」言ってくれて。結局、一回も巻き込まれないまま…巻き込まれたかったな。ああすればよかった、こうすればよかったってことばかりです。(了)



もう1つ、「詩のあるからだ」で印象的だった自縛ポエトリー/ういの言動がある。かつて、新宿の文学バーに行った時のこと。隣合わせた人と、文学論をぶつけあった際、思わず吐いたセリフが「井伏鱒二は、そんなつもりで書いたんじゃない!」。それがとても鮮明に記憶に残っていて、未だに彼女の声と口調で脳内再生されるのだ。ちなみに、大喧嘩した隣人と彼女はその後、大層、仲がよくなったという。
(インタビュアー:江藤莅夏)




三原千尋
1984年愛知県生まれ。2009年より自作詩の朗読を開始。日頃の愚痴や文句を叩っ切るスタンスで詩作・パフォーマンスを続けている。座右の銘は一切衆生悉有詩情。

《注釈一覧》

『胸糞注意』
『くがつじゅうさんにち』
2作ともに、自縛ポエトリー/ういの詩作品。

『縛られるモノ』プロジェクトでは現在、自縛ポエトリー/ういとのエピソードのご提供を募っております。
自縛ポエトリー/ういとの交流の中で印象的だったやり取り、記憶に残っているライブパフォーマンス等.......些細な内容でも構いませんので、お寄せ頂けると嬉しいです。
詳細はこちらをご覧下さい。

『縛られるモノ』プロジェクト

自縛ポエトリー/ういの詩集『縛られるモノ』と、それに関連する情報を公開するサイトです。

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